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東京地方裁判所 昭和30年(レ)202号 判決

控訴人 吉田重男

被控訴人 飯坂誠一

主文

一、原判決を左のとおり変更する。

二、控訴人は被控訴人に対し、被控訴人より金六〇、〇〇〇円の支払を受けると引換えに、東京都品川区二葉町一丁目四四九番ノ一家屋番号同町一一二番一、木造瓦葺平家建居宅二戸建一棟のうち向つて左側の一戸建坪九坪五合の明渡をせよ。

三、被控訴人その余の請求はこれを棄却する。

四、被控訴人は控訴人に対し、金六〇、〇〇〇円を限度として、金六〇、〇〇〇円に対する昭和三〇年七月二〇日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

五、控訴人の第一次の請求及びその余の予備的請求はいずれもこれを棄却する。

六、訴訟費用中、被控訴人の請求に関して生じた部分は第一、二審共控訴人の負担とし、控訴人の民事訴訟法第一九八条第二項所定の申立に関して生じた部分は控訴人の負担とする。

七、この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

控訴人は、「一、原判決を取り消す。二、被控訴人の請求はこれを棄却する。三、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」との判決を求めたほか、民事訴訟法第一九八条第二項に基き、「被控訴人は控訴人に対し、東京都品川区二葉町一丁目四四九番ノ一家屋番号同町一一二番一、木造瓦葺平家建居宅二戸建一棟のうち向つて左側の一戸建坪九坪五合の返還をせよ」、若し、右家屋の返還請求が理由がない場合には、「被控訴人は控訴人に対し、金六〇、〇〇〇円の支払をせよ」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴人は、請求原因として

一、訴外水野政勝は予てからその所有にかかる主文第二項記載の家屋一棟のうち向つて左側の一戸建坪九坪五合(以下本件家屋という)を控訴人に対し賃貸していたが、昭和二八年五月頃訴外小原久雄に右家屋の所有権を譲渡し、その登記は経由しなかつたが、控訴人において右所有権移転の事実を認め、控訴人と水野と小原の契約により、小原が右賃貸借契約における賃貸人の地位を承継した。

二、ところが右訴外小原久雄は、昭和二八年七月二九日頃控訴人と右賃貸借契約を合意解除し、控訴人は右訴外人に対し本件家屋を右日時より二週間以内に明渡すことを約した。

三、そこで右訴外小原久雄は昭和二八年八月五日訴外下川長に本件家屋の所有権を譲渡し、更に被控訴人は同年同月三一日右訴外下川長より本件家屋を買受けて所有権を取得したが、控訴人は占有すべき正当なる権限がないのに拘らず、前記約旨に反して明渡をしないまま本件家屋を占有している、

よつて被控訴人は所有権に基いて控訴人に対し本件家屋の明渡を求める、と述べ、控訴人の抗弁に対し

合意解除に際し、本件家屋の明渡と同時に訴外小原久雄が控訴人に対し金六〇、〇〇〇円の立退料の支払を約したこと、右訴外人が右金員の支払をしていないことは認める。しかしながら右訴外人は、昭和二八年九月一日頃控訴人に対し、立退料として金六〇、〇〇〇円を現実に提供したのに控訴人はその受領を拒絶したから控訴人主張の留置権の行使は失当であると述べた。

控訴人は、請求原因に対する答弁として

一、本件家屋がもと訴外水野政勝の所有であつたこと、控訴人が右訴外人よりこれを賃借していたこと、本件家屋の所有権が右訴外水野政勝より被控訴人主張の各日時に順次訴外小原久雄、同下川長に移転し、被控訴人が右訴外下川長より本件家屋を買受けて現在これを所有していること、控訴人が本件家屋を占有していることは認める。

二、訴外小原久雄と控訴人間に被控訴人主張のような合意解除が成立したことは否認する。被控訴人は前記賃貸借契約における賃貸人の地位を承継したものであるから、控訴人は被控訴人に対し本件家屋を明渡す義務はない

と述べ、抗弁として

一、仮に被控訴人主張のとおり合意解除が成立したとしても、右合意解除が成立したのは昭和二八年八月三一日であるところ、前記のとおり当時訴外小原久雄は既に本件家屋の賃貸人の地位を喪失していたから、合意解除の効果は発生しない。

二、仮に右主張が認められないとしても、右合意解除に際し、本件家屋の明渡と同時に、訴外小原久雄は控訴人に対し立退料として金六〇、〇〇〇円の支払を約したのに拘らず、右訴外人は右金員を支払わない。よつて控訴人は被控訴人より右金員の支払を受けるまで、留置権を行使して本件家屋の明渡を拒絶する。

三、訴外小原久雄が控訴人に対し、右立退料を現実に提供したことは否認する。

と述べ、なお民事訴訟法第一九八条第二項所定の申立について

一、被控訴人は原判決に付せられた仮執行宣言に基き昭和三〇年七月二〇日本件家屋に対し明渡の強制執行をなし、被控訴人がこれを占有している。

しかしながら原判決は前記のとおり取消さるべきものであるから、控訴人は民事訴訟法第一九八条第二項の規定に基いて、被控訴人に対し第一次に本件家屋の返還を求める。

二、仮に右請求が認められない場合には、控訴人は前記のとおり金六〇、〇〇〇円の立退料の支払を受けていないのに拘らず本件家屋明渡の強制執行を受けたから、結局金六〇、〇〇〇円の損害を蒙つた。よつて控訴人は前記規定に基き、被控訴人に対し予備的に損害賠償として右金員の支払を求める

と述べた。

立証として

一、被控訴人は、甲第一号証の一、二を提出し、原審証人小原清子、同石野倭文夫、原審並びに当審証人下川長の各証言を援用し、乙第一号証の成立を認め

二、控訴人は、乙第一号証を提出し原審証人山口小太郎、当審証人吉田ふく子の各証言、原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

一、被控訴人の請求について。

(一)  本件家屋がもと訴外水野政勝の所有であつたこと、右訴外人が控訴人に対し本件家屋を賃貸していたが、昭和二八年五月頃訴外小原久雄に本件家屋の所有権を譲渡し、右訴外小原久雄が同年八月五日訴外下川長に本件家屋の所有権を譲渡し、被控訴人が右訴外下川長よりこれを買受けて所有権者となつたこと、控訴人が本件家屋を占有していることは、当事者間に争なく、小原が本件家屋を買受けたがその登記を経由しなかつたところ、被控訴人主張の契約により、小原が右賃貸借を承継したことは当審における控訴人本人の供述により明かである。

そこで右賃貸借契約が合意解除せられたか否かについて判断する。成立に争ない甲第一号証の二、乙第一号証、原審証人小原清子、原審及び当審証人下川長の各証言を綜合すると、訴外小原久雄は昭和二八年五月頃から、本件家屋を売却する必要に迫られ、賃借人である控訴人に対し買取方を求めたけれども拒絶されたので、爾来その明渡方を懇請し、控訴人も亦相当額の立退料を支払われるならば本件家屋を明渡してもよい旨右訴外人に申入れていたが、未だ立退料の金額の点で折合わなかつたこと、そこで控訴人は同年六月一三日、右訴外人を相手方として荏原警察署に家事相談の申立をしたが、当事者間に解決のきざしがあつた為、これを取下げたこと、その後も小原は控訴人と立退の交渉を継続したが、小原としては立退料を調達する見込がたゝないので、他に買主を物色しその買主より売買代金を受領した上その中から立退料を支払うことにしたい旨申し入れて控訴人の了解を得たこと、折柄、訴外下川長が控訴人において立退くならば、本件家屋を買受けてもよい旨の意向を表明したので、小原は更に控訴人と折衝の末、昭和二八年八月四日以前に、控訴人は小原に対し、金六〇、〇〇〇円の支払を受けると同時に本件家屋を明渡す旨約したこと、下川長は小原よりこの事実を聞知した上で本件家屋を買受け、同年同月五日妻の下川キミ名義で所有権移転登記を了したが、控訴人において辞柄を設けて明渡を肯んじなかつたことが認められ、右認定に反する当審証人吉田ふく子の証言並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果は信用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。そして以上の認定事実からすれば、訴外下川長が本件家屋の所有権移転登記を了した直前に、訴外小原久雄と控訴人間の本件賃貸借契約は合意解除せられたといわなければならない。

(二)  控訴人は、右合意解除が成立したのは昭和二八年八月三一日であつて当時訴外小原久雄は本件家屋の賃貸人の地位を喪失していたものであるから、合意解除の効果は発生しないと主張する。なるほど、成立に争ない甲第一号証の一、原審証人小原清子、同石野倭文夫の各証言、当審証人吉田ふく子の証言並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果の各一部を綜合すると、訴外小原久雄の妻小原清子と控訴人は、昭和二八年八月三一日荏原警察署に赴き、家事相談係の警察官石野倭文夫の面前で、控訴人は二週間以内に本件家屋の明渡を約し、同時に右訴外小原久雄は控訴人に対し立退料として金六〇、〇〇〇円の支払を約したことが認められる。しかしながら右日時において始めて本件賃貸借契約が合意の上解除せられたものではなく、控訴人は既に昭和二八年八月四日以前に訴外小原久雄に対し、本件家屋の明渡を約していたのに拘らず控訴人がその履行をしなかつたことは前段認定のとおりであるから、訴外小原久雄が控訴人の本件家屋の明渡の履行を促進し、公平な第三者の関与の下に控訴人から合意解除に基く明渡義務の存在を再確認して貰う意味において荏原警察署に参集したと解するのが相当であるから、控訴人の主張は採用し難い。

(三)  次に控訴人主張の留置権の抗弁について判断するに、訴外小原久雄と控訴人間に成立した本件賃貸借契約の合意解除に際し、控訴人が本件家屋を明渡すと同時に、訴外小原久雄が控訴人に対し立退料として金六〇、〇〇〇円の支払を約したこと、控訴人が未だ金員の支払を受けていないことは、当事者間に争ない。従つて控訴人は、被控訴人より右金員の支払を受けるまで本件家屋の明渡を拒絶することができるものといわなければならない。被控訴人は、右訴外小原久雄が控訴人に対し右立退料全額を現実に提供したのに控訴人はその受領を拒絶したから、留置権の行使は失当である旨主張するけれども、民法第二九五条に明定するとおり、債権者は占有にかかる物に関して生じた債権の弁済を受けるまでその物を留置して引渡を拒絶することができるものというべきである。それであるから、仮に被控訴人主張のとおり控訴人が受領遅滞にあつたとしても、それだけでは控訴人が立退料の弁済を受けたものとはいい得ないから、主張自体理由がない。その他控訴人の立退料請求債権が消滅したことについては、被控訴人は何等主張立証しないところであるから、控訴人の抗弁は理由があるものというべく、留置権の抗弁が理由ある場合は単純に相手方の請求を棄却すべきものではなく、引換給付の判決をするのが公正の観念に適合する所以であると解する。従つて、控訴人は被控訴人に対し、被控訴人より金六〇、〇〇〇円の支払を受けると引換えに、本件家屋を明渡す義務を負担するに止るものといわなければならない。よつて、控訴人に対し、単純に右家屋の明渡を命じた原判決は右の限度において変更を免れない。

二、控訴人の民事訴訟法第九八条第二項所定の申立について。

(一)  先づ第一次の請求について判断するに、被控訴人が原判決に付せられた仮執行宣言に基いて昭和三〇年七月二〇日本件家屋について明渡の強制執行をなし、被控訴人がこれを占有していることは、当審における控訴人本人尋問の結果に徴し明かである。ところで民事訴訟法第一九八条第二項によれば、本案判決を変更する場合においては、裁判所は被告の申立によりその判決において、仮執行の宣言に基き被告が給付したものの返還を原告に命じなければならない旨規定せられている。蓋し、原判決が変更せられて原判決に付せられた仮執行宣言がその効力を失つた場合には、原告が仮執行によつて被告から受けた給付は法律上の原因を欠くに至り、不当利得として被告に返還する義務があるからである。右のとおり、同条所定の返還請求権の性質は不当利得に基くものと解せられるから、たとえ原判決が変更せられても実体法上原告の仮執行によつて得た給付が不当利得とならなければ、これが返還の義務はないものといわなければならない。これを本件についてみるに、前記判示のとおり控訴人が被控訴人に対し本件家屋を明渡す義務のあることは明かであり、ただ金六〇、〇〇〇円の支払を受くるまでその引渡を拒絶し得るという関係に過ぎないのであるから、被控訴人が原判決に付せられた仮執行宣言によつて強制執行をなし本件家屋の明渡を受けるに至つたとしても、不当利得と目すべきではない。よつて控訴人が被控訴人に対し本件家屋の返還を求める第一次の請求は理由がない。

(二)  次に予備的請求について判断するに、控訴人は被控訴人に対し前記判示のとおり金六〇、〇〇〇円の支払を受けるのと引換えに本件家屋を明渡す義務があるに止るところ、控訴人は原判決に付せられて仮執行宣言に基き右金員の支払を受けずに本件家屋明渡の強制執行を受くるに至つたものである。従つて控訴人は、本来ならば少くとも強制執行開始の直前において右金員の支払を受けうべきものであつたから、控訴人は結局右仮執行によつて本件家屋を被控訴人に明渡した日である昭和三〇年七月二〇日以降右金員の支払を受けるに至るまで民法所定の年五分の割合による損害を蒙つているに過ぎないというべきである。結局、控訴人の右請求は、その支払を求める金六〇、〇〇〇円の金額を限度として、被控訴人に対し、金六〇、〇〇〇円に対する昭和三〇年七月二〇日以降右完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求める部分に限り正当というべく、その余は失当として棄却を免れない。

三、以上のとおり、本件控訴は一部理由があるからその限度において原判決を変更し、控訴人の民事訴訟法第一九八条第二項所定の申立のうち第一次の請求は理由がないから棄却し、予備的請求は被控訴人に対し金六〇、〇〇〇円を限度として金六〇、〇〇〇円に対する昭和三〇年七月二〇日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める範囲内においてのみ正当として認容しその余の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九六条第九二条但書を、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部行男 柴田久雄 古沢博)

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